徳川幕府の資金繰りを読んで

貨幣が流通するようになると、問題となるのは資金繰り。

資金繰りは現在だけでなく昔においても頭を悩ませる共通のテーマであったようです。


昔は

佐渡から金が、

島根から銀が、

産出されていました。

これらの金銀は江戸幕府の財政を支えました。
(話がそれますが、2020年に茨城沖の海底に原油が存在するかもしれないという記事がありました。
調査の進展が待たれますが、将来日本が産油国になるなんてこともあるかもしれません。エネルギー資源を内製できることは強みになります)

しかし金や銀の産出量は有限で、永遠に出てくるものではありません。

加えて、江戸時代には大火事や富士山噴火、飢饉により財政が厳しくなる時が何度もありました。

資金繰り対応方法の一つとして、江戸幕府は貨幣に含まれる金の量を減らす施策を取りました。

江戸時代の初期の慶長小判の金の含有量は8割程度でしたが、その後の元禄小判については金の含有量を5割程度としました。
(その後においても貨幣改鋳は続きます)

結果として小判1枚あたりの価値が下がり(貨幣価値の下落)、物価がインフレ化しました。

その他、幕府の財政支出を減らしたり、増税により資金繰りを手当したようです。

昔も今も資金繰りの対応は、本質的には変わっていないような気がしました。


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都築太郎税理士事務所/Tsuzuki Taro Tax Accountant Office

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