本質的なものは残り続ける【遊びから生まれた野球】

本日は高校野球の決勝戦(仙台育英と慶応)が行われています。

仙台育英は昨年の優勝校で今回は連覇をかけた戦い。

昨年は初めて東北に優勝旗をもたらしました。

他方慶応は103年ぶりに決勝に進出、107年ぶりの優勝をかけて戦っています。

どちらが勝っても世間を賑わせそうです。

高校野球は1915年に始まり、100年を超えて続いています。

2023年の100年前は1923年。

今のような家電もなく、ましてやスマホ・インターネットもない時代です。
(今と共通していることは、感情を持って生活しているということでしょうか)

そもそもの野球自体は、さらに歴史をさかのぼります。

野球の原点は、石を投げ、木の棒で打ち返すような遊びから始まったのでしょう。

それは現在のような物がない時代からあった原始的な遊び。

その遊びに人数や回数などのルールを設け、互いを競うようになり、現在に至ります。

かつて人の生活の一部である遊びから変化して発展をとげた野球は、今後もやり方(ルール)を変えながら残っていくのでしょう。

遊びに限らず、物や情報が少ない時代からある本質的なものは、時代や価値観が変化しても姿形を変えながら残り続けるのであろうと、高校野球を見ながら考えていました。


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都築太郎税理士事務所/Tsuzuki Taro Tax Accountant Office

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