その行動は人のため?自分のため?
昨日の話です。
車を運転していて、とある信号が赤になっていたので停止しました。
目の前には横断歩道があり、人が往来しています。
歩道の信号が点滅をし始めると、赤信号になる前に渡りきろうと小走りになっている人がいました。
なんかスマホらしきものがカバンから落ちそうになっているなと思った矢先、
カバンからスマホが反対車線の横断歩道に落下。
その光景をみた瞬間、ぞっとしました。
1分もしない間に走行する車によってスマホが粉砕されることは間違いありません。
しかし、周囲にいる人は全く気付かず。
私自身気づいてしまった以上、気づかなかった状態には戻れません。
もはやそのスマホの命運は自分の手にゆだねられているような感覚になります。
スマホの中にはおそらく様々な思い出が入っているはずと勝手に妄想し、ハザードランプをつけ、車を止めてスマホを拾いに。
(幸いにも対向車はおらず)
目の前のスマホを救出するという唯一の目標のために、衝動性が働きました。
一見スマホを落とした人のために行動したように見えますが、果たしてそうでしょうか。
よくよく考えてみると、それは自分自身の問題であり、仮に自分がとっさに行動しなかった場合には後悔が残るであろうと考えていました。
人のために行動することだとしても、それは結局自分のためであるという視点も存在しています。
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都築太郎税理士事務所/Tsuzuki Taro Tax Accountant Office
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