空き家や廃墟の時間軸から循環を考える

色々と頭を悩ませる空き屋問題。

私の近所にも空き家がちらほらあります。

その抱える問題はさておき、空き屋を見たときに、ふと時間軸を考えることがあります。

建設されて、家族が住み、子供が成人しいなくなり、やがて本人がいなくなる、という流れです。

空き屋を見た際に時間軸の中のどの部分がハイライトされるかは、自分自身のその時の心情によります。
(廃墟に遭遇した際には、かつての賑わいを想像し、ノスタルジーを感じることが多いです)

・過去のにぎやかな時期

・現在の寂しい姿

・未来の姿
(そのままか、取り壊されて草地になるか、新たな建物が建設され新たな家族が住むか)

現在の姿が、過去や未来の姿を想像させます。

現在賑わいを見せているものも、時間の経過ともにやがて廃れ、やがて生まれ変わっていくという流れ。

それは新陳代謝を促しているように思えます。

仮に今ある空き家がそのまま放置されていても、長い年月(数百年?数千年?数万年?)をかけて風化し、原子レベルまで小さくなるでしょう。

それは新たな物質を生み出す元となります。
(水を分子レベルで見たら、太古の時から変わっていないのかもしれません)

空き家を見ながら、自分自身もその循環の中で生きていることについての壮大さを改めて考えていました。

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都築太郎税理士事務所/Tsuzuki Taro Tax Accountant Office

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